この度、父と共にひとつ作品を創ることにした。昨年から企画していたが、実は二週間ほど前からワックワックと始めている。


この作品は自分達だけで所有するものというよりは、「みんなのもの」になって欲しいと心から願っているもので、創作日誌をつけることにする。


【末原康志末原拓馬=100】

僕は「おぼんろ」という劇団を主宰している。かれこれ10年以上も活動してきて、公演数は本公演18回におびただしい数の番外公演。おぼんろの前身として20歳から「とらとろん」という劇団をやっていたが、その頃から父に楽曲を依頼し続けている。末原拓馬は現在35歳。なんと。父とともに本腰入れて物創りを始めてから15周年なのである。


言うまでもなく、父と出会って、遊び始めて35周年である。


そして仕事を始めて15周年。


(これは一昨年の岡山・東京ツアーの時のもの)

そして、その父が2021年2月7日に誕生日を迎え65歳になる・・・

末原康志(65)+末原拓馬(35)=2人合わせて100周年!!!!


なんとアニバーサリーアニバーサリーした年なんだろうか。


父とはこれまでに、劇団公演のみならず多くの仕事をしてきた。自分が外部演出をするときのサウンドトラックは決まって父に依頼していて『イムリ』『絶響MUSICA』『ラルスコット・ギグの動物園』・・・父の音楽はいつもとても高い評価を得た。


2人での共演もしている。Rock 'n' Roll Playingというユニットプロジェクトは過去に2回やり、『海ノ底カラ星ヲ見上ゲヨ』『かいじゅう』という作品を創り上げた。

近年は恐れ多くも父の主催するライブの前座を拓馬が努めさせてもらったり、拓馬のワンマンライブやイベントでギターを弾いてもらったりと、様々だ。


流石に、50年ギターを引き続けていまだ現役バリバリの父と同じステージに立つのは今でも緊張があるが、かつてコンサート会場の客席から「かっけぇぇぇ!」と思っていた人の隣で何かできている自分が不思議だったりする。


そんなこんな足して100周年だ。


末原親子として地球のモニュメントになるような作品を創ってみようじゃないかと2人で決めた。

小さい頃からまるで2人で海賊にでもなったように遊び倒してきたが、まだまだ遊び足りぬ。2人遊びを熟練させ2人として、ここにきて、もっともっと遊んでやろうじゃないか。


もちろん、個人的な作品ではなくて、「ありとあらゆるみんなのもの」にしようという願いだ。


その、最初の点火の準備を、末原親子で成し遂げようと思います。世界中を温めるような大きな大きな炎になればと思うので、このキャンプファイヤーをご一緒してくれる方は、どうかお付き合いください。


とりあえずは2月20日、目論んでいることがあります。



【ジュロコロ】

取り組む作品は『ジュロコロ』。


おぼんろとして葛西臨海公園に巨大なテントを建てて行った『キャガプシー』という作品があるのだけれど、その物語の中に「涙を飲み干してくれる小さな怪物」を模して作られた御守り人形、というものが登場する。その怪物が、ジュロコロという生き物なのだ。


で、スピンオフというか、そのジュロコロ伝説についての物語を、かつて一度絵本にしている。


限定販売だったものの、とても評判がよく、自分でも相当に気に入っている物語。いつかもっと多くの人に届くようにしようと思ったまま、忙しさにかまけて数年が経ってしまった。


「涙を飲み干してくれる存在」として御守りにされているジュロコロだが、当の本人(「人」というのは違うかもしれないが)には、それなりの葛藤や苦悩、臆病な気持ちや、言葉では言い表せない様々な感情や事情がある。


あんまり「こんな時代だから」なんて陳腐な表現はしたくないけれど、涙無くしては生きられないこの世界(別に時代に関係なく、そもそも人間てそういうもんなんだろう。神様め)に、涙を飲み干す生き物の物語を投じてみたいな、と思うのである。


どうか、あなたもこのプロジェクトに参加してほしい。短期、中期、長期と目標を定めて、とても長い目で、誰もが誰もを笑顔にするためにつかう魔法の道具見たいな物語にしたいと思っている。


【創作日誌】

※日々、後ろの方に書き足していく予定です。



夏頃

『ラルスコット・ギグの動物園』のサウンドトラック、テーマ曲などについて創作開始。


11月3日

やんわりと、ジュロコロ企画について父に電話で話す。断られると困るので、言葉に気を付けた。


11月中

『ラルスコット・ギグの動物園』本番に向けて、様々な楽曲制作。劇中で歌われる歌や、動物園そのもののテーマ曲、それぞれのキャラクターのイメージ音楽など、様々。父も本番やゲネプロを観にきて、改めて「俺らすげえ」という気持ちになる。子供の頃に近くの公園のアスレチックに行って「ターザン」を成功させたときと同じような気持ち。


前に創ったジュロコロの絵本をわたし、「なんとなくイメージしておいて~」と伝える。


12月23日

「この前、ちょっとイメージ湧いて爪弾いた」という、iPadで録音した『ジュロコロのテーマ』のラフを聴かせてもらう。良い。漠然とした世界観のイメージが自分の中でも確かになる。


12月25日

サンタクロースがクリスマスツリーのふもとに、父宛てに不可思議な形の弦楽器を持ってくる。驚くかと思いきや、「なにこれ、バラライカ?」と言って、いきなり弾き始める。ロシアの楽器で、弾いたことがあるわけじゃないらしいのだが、ふつうに弾ける。ギター歴50年、さすがである。ジュロコロの世界観に組み込まれそうな予感。


1月2日

丑年に因んだ形で、ジュロコロについてTwitterに投稿。反応してくれる人がいてくれて嬉しい。かつて『キャガプシー』の時には、限定販売でジュロコロ人形を発売した。全てが手作り、どれもが一点限りの模様というもので、大切に大切に人形師さんが創ったのだが、みんな引き取られていき、あちこちの家でみんなを笑顔にしている様子。我が子の消息を聞くようで嬉しい。人形師さんも喜んでる。人形師さんの正体については、本人は秘密にしたがるけれど大切な自慢話なので、そのうち話すつもり。




1月12日

緊急事態宣言発動。そんな中、本格始動する感じのことをふたりで話す。吉祥寺のライブハウス、スターパインズカフェのブッキングマネージャー梁さんから2月の空き状況が送られてくる。ワンマンをやらないか、とよく誘いをくださる。


1月15日

パパから『ジュロコロの歌』のデモが送られてくる。新宿ミロードのカフェで別件の打ち合わせが終わった直後のことだったが、立ち尽くし、イヤホンで聴く。この世界のどこでもなさそうな異国情緒でありながら、まさしく自分の生きている世界であるような郷愁、哀愁、そして優しさ。圧倒的な優しさ。まさしく求めていたのはこの世界観。付き合いが長いとは言え本当に末原拓馬を理解してくれている音楽家。感謝。すぐに電話して盛り上がる。楽譜に起こして欲しいと頼み込む。夜までに、二種類のキーでの楽譜をもらう。


1月16日

スターパインズカフェで、「ジュロコロプロジェクト決起会」のようなことをやろうと決心。やはり、明確な場所はあった方がいい。観客を現場に招いての本番ができるかどうかはわかるまいが、せめて配信なら可能だろう。深夜だったので、翌日梁さんに連絡をしようと決める。


1月17日

『ジュロコロの歌』をピアノで弾けるように父に習う。諸々の事情からリモート感を出して、ZOOMにて決行。去年手に入れたエレクトリカルピアノを弾きながら、コードの音選びとベースパートの弾き方を習う。リズムに関する理解が一辺倒で、うまくできず、呆れながらに苦笑いをされる。幼い頃に母からはピアノ、父からはギターの手ほどきを受けたものの、とにかく外で年がら年中走り回りたい性分だったもので、さほど突き詰めはせず。だが、音楽に触れない日はなかった人生。おとなになってやってみたら、遊びで弾き語りをできるくらいには弾けた。崇高なものと言うよりは、まるでおもちゃのように楽器があった、という距離感がむしろよかったらしい。でも、ちゃんと演奏するとなると、どうしても父が凄すぎるせいか、緊張する。


梁さんに連絡。2月20日がまだ空いているとのこと。土曜日。観客を呼ぶなら20時まで、配信なら何時でも、とのこと。「来れたらいいね」を前提にスタートを切ろうと思う。制作に諸々相談をする。




1月18日

(この日は、なぜか文体が違います。恥ずかしいけれどそのまま載せます。)


今日はパパとのプロジェクトのためにパパのお使いでパソコンを買いに行った。パパはものすごく機械を使いこなしまくるひとで、小さい頃からの機械担当。というか、たくまもねねもママも、機械に関してチャランポランすぎるので、もう、ビデオがこわれてもパパを呼び、電話が壊れたらパパを呼び、ネット回線についても何もかもパパだし、拓馬もパソコンやら音楽機材やらを使うようになったものの、何から何までパパに習い、使えはするけど、本質、なにがどうなってるのかわからんかんじ。そんなパパは、打ち込みやら録音でパソコンや機材は商売道具。そもそも、エレキギターに関する諸々も機械なわけだから、そうか、ギター小僧を始めたか10代からパパは機械いじりしてきたんだな、まあ、そりゃ、詳しいか、なんて言いながら、甘え続けてきた。


が、無駄遣いはせぬパパである。パパは小さなスタジオを持っていて、スタジオアトム、という、我が家の愛犬の名前を元にしてるんだが、もう、機械だらけ。ここで録音された名曲の数々たるや、数えきれぬ。すごい音なんだ、ここでパパが録音して、自分でマスタリングやらした音ってのが。で、なんだけど、自分のパソコンは、もう10年くらい買い替えてなかったとのこと。


Macって、どんどん新しくなるから、実はすごく、もう古いのを使ってたらしい。が、機械を大事にするパパである。物持ちがいい。、、。見習いたい。


で、今回のパパとたくまのプロジェクトを進める上で、環境的に新しいパソコンあったほうがいいよね!?と盛り上がり、どーん!と、何もかも最新、最強のものを買うことにしたのです!いえーい!


ま、遠慮がちなパパは少し躊躇していたのだけど、すごい勢いで新曲がんがん創ってもらわないといけないもんで、たくまと、そしてなぜか母が超乗り気になり、購入を決断。それと、実は今年から父に音楽教室を開催してもらいたいという野望があるもんで、これまではデスクトップで音作業をしていたパパに、ノートパソコンというアイテムとともにフットワーク軽くなって欲しいと思ったのであります。


で、おつかいに、新宿へ。いくらかわからないから現金おろして、ドキドキしながら新宿へ。Macってのはアップルストアで、買い物するというのがベストだったんだけど、コロナもあって、予約がとれない、とれない。電器屋で買った!クレジットカードは使わないので、全部現金で購入。お金ってのは幸せになるための道具。ここぞの使い道である。


いやぁ、大冒険だった!


と、遠隔で、買い物の様子なんかを報告してたんだが、買えたよ!!と伝えた数時間後に、ふたたびパパから連絡。


新曲が添付されてた。テーマ曲である。


わーーお!!!!!


よすぎて、帰りの駐輪場で聴くなり泣けまくった。

ほんと、よすぎるんだぜ。


1月19日

ジュロコロを動かしてみる。誰かに頼めばいいと思いつつ、あれこれと工夫して見たらできた。アニメーションを創るためのソフトも最近触って見ているけれど、これはパラパラ漫画形式。アナログなものに惹かれる気持ちがある。



1月20日


・父が『wander』と仮タイトルをつけた楽曲のスケッチを制作。「思いついたから。こういうの使うでしょ?」と、具体的に依頼するよりも先にくれた。自分の作品にとって音楽の使い方はひとつ特徴があると思う。これはきっと演出家によってそれぞれで、物語に対する音楽の寄り添い方によって作風というものが決まってくると思う。さすがに15年一緒にやっているもので、父も拓馬の欲しいものがわかるらしい。以前、『ルドベルの両翼』という作品を執筆しているときはとにかくスランプ状態に陥り、楽曲レコーディング(CDを物販化するため、本番よりも随分早い段階で行う)までに物語が出来上がっていなかったことがあった。その時は、「いつもの感じで、きっとタクが使うだろう楽曲」を父が次から次に作曲してくれた。元から、音楽から情景や物語を想像創造し始める拓馬は、それらの音楽に引っ張られながら作品を完成させた。「おぼんろの作品がいいのは音楽のおかげだね」という言い方をする人がたまにいて、前はそれなりに傷つき悔しくもあったけれど、はっきり言って、音楽によって物語を開花させたことは何度も何度もある。今は堂々と誇らしい。


・公開用の絵本を、ウェブでも公開するためにデザイン作業。ズームで画面共有しながらデザイナーと共に奮闘。演劇的な演出を込めた絵本だった、めくることを前提に。どのページとページの間に静けさが欲しいとか、どこで息を飲んで欲しいとか、どこに勢いをつけたいとか、いろいろと考えて作ったものが、ウェブのページだとなかなか再現ができない。絵の大きさも難しい。スマホで見られるか?パソコンあで見られるか?なども考慮し、深夜まで作業。縦スクロールのサイトを選んでみたが、ぜんぜんちがう。まだ答えがでない。


いろいろな語られ方をする物語であってほしい。餅は餅屋、こういう作業はプロに任せたらいいのだろうけど、自分のこだわりポイントが決まるまでは自分でやりたい。ウケるものがつくりたいんじゃない。自分の祈りを煮詰める。それが、みんなの祈りになるから。


1月21日

アトリエを持とうと思い、目星をつけていた物件を見に行く。不動産屋さん。実は生まれてこの方ずっと実家暮らしなもので、自分で物件を借りるのは初めてである。衣食住に対する興味関心は一切なく生きてきたし、基本的に外で仕事をしているし、世界で一番好きな人が父と母だし、家で父とクリエイティヴな時間を過ごすことは素晴らしいことだったので何の問題もなかったのだが、どうしても執筆や楽曲制作、絵を描いたりなんだりと創作の仕事が増えすぎ、分の純度を高める場所が不可欠になった。以前、モバイルハウスという「家付の車」をアトリエにしていたこともあったけれど、都会で車を持つのは普通に不便すぎて断念。酒も飲む人間だし。


で、内見。劇団制作の人と、それと、なぜか母にも来てもらった。おもしろいから、と思って母を連れてきたら、諸々のチェック力が凄まじく、「これはどうなってます?これは?」と、ズバズバと、あぁ、なるほど確かに、そこは聞いておかないとまずかったよな、という鋭いところを突き続けてく。ははぁ、さては自分はこの人に守られてきたから生きてこれたのだな、と再確認。最近になってようやく気付いたけれど実は父も父で音楽馬鹿すぎる人で、母と結婚してなければのたれ死んでいた可能性は極めて高い。


で、場所はバッチリ。雨漏りはするけれど、壁に絵を描いてもいいし、音もそこそこ出していいし、少し走り回って芝居をするくらいのことはできる。かつてやった『狼少年ニ星屑ヲ』という公演は8坪の地下室でやった。そこよりは上等な気もする。ここに、「仲間」と認識している人間をどんどん呼び込み、劇団での創作の場にもし、自分の拠点にする。好きじゃない世界のことはもうあんまり考えず、自分が生きていくための場所にする。あと、父の音楽教室や、二人でのコラボ演奏を撮影するスタジオとしても使う予定。


劇団員わかばやしめぐみはプロの占い師という謎な肩書も持っている女で、極めて霊能者めいていて、地方の旅館や、どこぞの劇場などにいくと「ここはまずい」「ここは大丈夫」などとジャッジメントしてくれる。で、連れて行ったわけだけれど、「すぐ外に霊道が通ってる。けど、あ、途中で途切れてるな・・・ああ、あそこにお寺があるのか・・・うん、ここは大丈夫。むしろいい気が流れてるよ」みたいなことを言っていた。そして、それに不動産屋さんが食き、「実はよく電気とか電波が変になるんですよ!でも、いい感じのものだとは思っていて!やっぱ、大丈夫ですか?」などと聞くものだから、そこから15分あまり、めぐみさんの霊能講座が始まった。なんだこれ。ま、確かに、物件の目の前にお墓が広がってるんですけどね。


本当は他に幾つも内見するつもりで制作が段取ってくれたのだけれど、最初に見た場所が気に入ったので、他は見るのをやめて、即決。いろいろ悩んでも、こちとら筋金入りの優柔不断、一目惚れした審査は通るのだろうか。創りたいもののことを考え続けていたせいか、単に自分の脳内のボキャブラリーがついて来れなかったのか、不動産屋さんの説明は一切頭に入ってこず、訳のわからないまま言われるがままに紙に文字など書いた。


夕方頃に再び父が新曲のDEMO音源を完成。今のところは「wander」という仮タイトル。不思議な雰囲気の楽曲で、物語の後半などで使えそう。不気味さと不思議さが絡み合いながら、幻想的でもあるという不思議さ。早くも新しいMacを使いこなしている。


1月22日

一日をかけて、父とパソコンについてやりとり。近年のパソコン内のソフトは諸々「年間契約」せねばらないようになったらしく、四苦八苦。ファミリー共有というのをすれば同じソフトを2人で使えることが判明。ようやく設定できたときにはテンション上がった。合法、というか、至極まっとうなことなのだけれど、なんか、このお得感がちょと背徳的。

ジュロコロ絵本はいくらか描き直す予定。前回のバージョンではジュロコロの独白という形式で物語を進めたけれど、演じての数が多い演目にしたい気持ちなどもあり、悩む。ルイマルムという村での伝説として語り継がれている物語、という設定なのだが、ジュロコロ本人とは逆の視点のものも書いてみたい。

絵柄についても悩む。線画は年々うまくなっていくけれど、ここのところ、色彩もうまく使えるようになりたいと思って、様々なタッチでの絵を試している。恐れ多くも、世界の誰が見ても末原拓馬の個性とわかるようなところまで行き着きたい。

1月23日

アトリエの審査が通った!諸々、いろいろここから資料を提出したりしないといけないようなのだけれど、その辺りは、ちょと、周りに助けてもらってる。

13時53分、「ジュロコロ・Dreamer」と言う音楽が届く。「絵本をみて作った♪」と言う言葉が添えられていた。細かく打ち合わせをしたわけではなかったけれど、その音楽がハマるべきページはすぐに分かった。どこに観客がいたわけではないけれど、絵本を開いて、前のページのきっかけセリフを言い、音楽をイン。そこから、ワンシーン、心を込めて部屋で独り演じてみた。偶然と言うか、奇跡というか、シーンの終わりと、曲の終わりがぴったり同じだった。


改めてジュロコロを読み込む。夜に、父が「パソコンの練習がてら 笑」と、新たなトラックの頭の部分のイメージを送ってくる。拓馬はしゃぐ。

小さい頃から、「タク、これすごいよ」みたいなことをパパが言うと否応なしにはしゃいでしまうところがある。「タクマとパパはいますごいことをしてるんだ!」と言う迷いのないはしゃぎによってここまで来てしまった気がする。父と母はとにかく、何かを創ることをすべて「特別なこと」として扱ってくれた。自然の中でのありとあらゆる遊び、絵を描くこと、言葉を紡ぐこと、想像で物語をでっち上げること、音楽を奏でること、ふざけること、謎の遊びを発明すること・・・何もかもを特別としてくれたから、自分にとって人生はずっと特別な場所だった。

父と怪獣の人形に色を塗ったことがある。絵もたくさん描いた。父は集中して細かい作業をするときに舌の先をちょっとだけ、2ミリくらい出す癖があって、幼い頃にそれが不思議で「パパ、なんで、こんな、こんなふうにするの?(真似してみる)」と聞いたことがある。「え?わかんない。」みたいに言われて、幼心に、「わからないんかい!」って思ったけど、「かっけえ!」と思った記憶がある。なんだか最近、その真似をしてしまう。実際、自分にはそんなクセはなかったのだけれど、真似していたらクセになってきて、そして、こうすると集中できるようになってきてしまった。おまじないめいている。



1月24日

絵本をサイトで読んでもらうためのデザイン作業などで1日を費やす。同じ物語でも、演劇でやるのと映画でやるのとでは演出を変えるように、同じ演劇でも、劇場が変われば演出を変えるように、えんやこら、えんやこらと食らいつく。まあ、とにかく時間がかかる。完璧主義者である自分の危険性は熟知しているので「こだわりすぎるとキリがないから程々のところで終わろう」と何度も思うのに、やはり目の前に、もっと良くなる可能性があると、手を加えてみないでは気が済まない。

絵本では、ページめくりが一つのキーになるけれど、今回は縦スクロールで読む形にしている。で、粘りに粘った結果、物凄い可能性を感じている。そもそもが、絵や文字は余白の使い方こそがキーだと思ってる。というのは、それは「音」と「沈黙」を支配できるから。音を支配することは情景を支配すること。それは、すなわち、読み手の心の流れを演出すること。


デザイナーに、「このセリフは、こんな喋り方です」というふうに実際に演技をして見せながらページ作りをしていく。もちろん、絵本は読み手が心の中で演技をしながら、想像をしながら冒険していくためのもの。だけれど、そこにどれだけ美しい手がかりをおけるかには拘りたい。

1月25日

末原康志生誕祭(2/7)まであと2週間!

鹿児島で釣りをしている写真を見つけた。桜島が超いい感じ。

拓馬が真剣にやっているところを、なんか、見守ってる(?)パパ。息子が絶対に海に落ちたりしないように手を繋いだり、腰を掴んでいたりはしない。

ママに言わせると「男親は危機管理能力があんまりないから預けるのは危険!」みたいなことになるのだけれど、でも、パパなりの息子の守り方なんだと思う。兄弟と言うには明らかにパパと息子の関係だと思うけど、でも、「一緒に遊んでる」と言う気持ちだった。そう思わせるのがうまかったと言うことか・・・。「父を越えたい!」みたいに思ったことはないなあ、実は。「パパ好き!もっと一緒に遊びたい!」って、シンプルだよね。プロになってしまった以上はちゃんと遊んでもらえるために、自分のレベルあげた、みたいなところはあるかも。

まあ、なんにせよ、最近になってライブハウスで共演する時も、拓馬が真ん中でしゃべくり倒しているのをみている時の父は、こんな感じの佇まい。変わらない。

父が鹿児島から東京に出てきたのは19歳の時。そこから、音楽を学び、数年後にはプロとしてテレビ局やらを周り、20代は世界中を旅してギターを弾いていたらしい。音楽だけで家買って、娘と息子を大学まで行かせて、すごいよな・・・と、自分もなんだかんだこんな職業に就いてしまった身空としては強く思う。


1月26日

新しいマックをカスタマイズし続けている父。

拓馬は小さい頃から音楽室をうろちょろしたり床でゴロゴロしたりするのが日課だったもので、「ミックス」や「マスタリング」はよくみていた。パパは幼い拓馬に、機材の説明やら、いろいろ、丁寧に教えてくれた。今でも、そう言うのは変わらない。

音作りは、奥が深い。録音の仕方はもちろん、そのあといくつもの工程を経て、極上の音色になる。おぼんろのサウンドトラックを創る時も、父はよりすぐりのミュージシャンやエンジニアと共に、それはそれは大層なこだわり方をしてくれている。

拓馬も最近はちょっとした曲作りなんかするけれど、音源の最終調整はいつもパパに頼んでる。

夜に「fun fun」と言う新たなDEMOが送られてくる。なんて明るくて素敵な音楽なんだろう。父の音は、優しい。ロックミュージシャンだし、髪伸ばしたせいで高校も一度ダブってるし(ウロ覚え)、不良っぽい人生を歩んできたんだけど、まあ、これが圧倒的に優しい人間で、お人好しで、真面目で、そして頑固で、真っ直ぐ。

父は苦しくしんどいものが嫌いで、楽しく幸せなものを愛している。よく生きてこれたもんだ。そんな父に育てられたから、姉も自分も、こうなんだろう。父の音楽には、爪弾く音には、父の人生が乗っかっている。父以外の家族でよく話すけれど、そのことが、僕らは誇らしい。

1月27日

拓馬が埼玉で仕事だったので、リモート会議。『メル・リルルの花火』を経て格段にIT革命を進めた我々は、なかなかにこの感じ、使いこなしてる。てか、実家の台所で会うよりも妙に集中力が出て良い感じでもある。そして、この歳になっても相変わらず、父の顔を見ると「わっ☆」て気持ちになる。おとなになれ、おれ。

昨日送られてきた『FUN FUN』のDEMOてのはこれ。拓馬と母は号泣した。

父は、本当に、少年が冒険を夢見るように、愛と平和を夢見てる。それを知っているから、この音色のひとつひとつが、音階のすべてが、祈りなのだとわかる。そうなんだ、そうなんだよ。自分なんて、そこそこに病んだりすれば暗い作品を創ったり、闇に飲み込まれようとしたりしてしまうけれど、それを垂れ流してしまうけど、父は違う。光。光を夢見て、光を愛して、そして、光を世界に贈りたいと心底願ってる。ヒーローだ。

で、埼玉にいる拓馬に、パパから、音を足したバージョンが届いた。

ああああああ!!!!本当に素敵だ。なんか、みんなで楽器を持ち寄って、みんなで、とにかくみんなで踊りながら、合奏しながら、ワイのワイのと騒ぎたい。音楽にはその力がある。音楽に宿らせるべき物語は息子が考える。

世界がいまよりも輝くイメージが、すごくすごく明確に頭に浮かぶんだ。

負けじと、冒頭部分を音楽に合わせて読んで父に送ってみた。この音楽は、本来はこのシーンに割り当てられたものではなく後半部分のためのものだけれど、とりあえず、で。

「テンポもっと落とす?」と父からの提案。そう、おぼんろでもそうだけれど、冒頭の語り部パートは、ややこしい、ありもしない世界の設定を理解してもらわなければならない重要な時間。雰囲気が大事なのはもちろん、言葉がスイスイと入ってこなくてはならない。あれこれと打ち合わせをして、とりあえず、おしまい。「他の曲の方がいいかなあ・・・?」なんて言ってみた。これは、拓馬のズル。

ジュロコロについての物語が少し始まってますが、ジュロコロってのは、天使が戯れに創った「ドドプ」と言う生き物の、奇形なんです。ああ、早く、物語をみなさんとシェアできるようにします。お楽しみに。


1月28日

ジュロコロの物語を無料公開しようと思ってる。花火大会の花火が無料で見上げられるように、満天の星空がいちいち見上げる人数を規制しないのと同じように。

物語は基本すべて、誰にでも手当たり次第に配りたいと思って活動してる。もちろん、それをやるためにもいろんな人の助けが必要で、そのひとたちには生活があって、だから、どうしても必要な金銭というのはあるけれど、そこばかりのために、裕福な人だけが受け取れるものではあってほしくない。

売り物ではない、贈り物。我々からみんなにとってもそうでありたいし、みんなから、みんなの大切なひとに、という段階でもそうであってほしい。

途方もない夢のような気もしている。だけど、簡単なことのような気もらなぜかしている。

父から冒頭のための音楽が早くも届く。なんだかんだと新曲をつくってくれた。


これはスケッチ。夜にはしっかりと音源で届いた。ちなみにこの演奏はルバートと言って、メトロノームのクリックを聴いていないで演奏しているとのこと。


ルバートについて極意を尋ねると、「ルバートは逆に高度なインテンポ感がないと出来ないよ。リズムを支配するって事だから(^^)」と、父。ほんと、そうなのだとおもう。技術を高め切ったからこその、上等なだらしなさと言うものが父にはある。

楽曲に感動して、わざわざ新しい音楽を作らしてくれたことを感謝とともにささやかに詫びたら、


「やっぱり世界観を作る大事なシーンだからね!!」


と返事が来た。俺はこのひとのようになりたくて大人になった。なれているだろうか。まだまだだ。

1月29日

物語は贈り物だ。誰かのために紡ぐ。それが、いろんなひとのための物語になる。


愛があることがまずは大事。そして、愛を表現する技を持つことも大事。


愛は、抱くにも表すにも届けるにも技術が必要で、訓練も必要。なかなか、愛するということを自分に許すのが難しい世界なのは否めない。


とてつもなく甘えん坊に育てられた。愛されてないと、愛していないと生きていられないし、それ以外に生きる意味や理由が見つからない。


父がだしたギターのソロアルバムをひさしぶりに聴いてる。パパは『Dunk shoot』という曲を創った。うれしかった。拓馬がバスケ狂いだったから。別に曲をプレゼントされたわけじゃないけど、自分の影響がパパに及んでいるのが嬉しかった。


1月30日

緊急事態宣言はまだまだ、続くだろうさ、演劇は簡単に元通りにはならなかろうと思うけど、そもそも、たまたま手をつけたのが演劇だった自分だ。絵と音楽と芝居と文章は、同じ玩具箱に入ってる、片付かないまんまに。ジュロコロを作り続けてるけど、なんというジャンルのものにするかわからない。わからなくてもいい、ということはわかってる。


1月31日

アトリエの契約をした。鍵ももらった。契約書は読んでもあんまり面白くなかった。もっと、建物にまつわる伝説とかがいっぱい書いてあったらおもしろいのに。

ジュロコロの物語のなかで、ジュロコロはある家で村中のひとの涙を集めることになる。ジュロコロハウス。まずはこのアトリエを、そんな場所にしたい。


いよいよ2月。パパの誕生日まで1週間!


2月1日

アトリエについに入った。まだ伽藍堂だけど、ここでなんだってできると思う。ジュロコロの物語の中にジュロコロが住んでいる家が出てくる。そこでジュロコロは、悲しいことがあった人の話をじっと聞くんだけど・・・そう言う場所にしたい、と言う気持ちもある。

ルーマニアでやる『結び』と言う作品の稽古にも行った。ヘビメタバンドと、殺陣集団と日舞の師範代が一緒になった集団。リーダーのSADAさんがキャガプシーのDVDを見て父を「天才すぎる!」と数十分もの間ずっと熱弁してくれたことがあった。嬉しい。

2月2日

節分。『おにはここ』と言う物語を描いた。2人の鬼が出てくるのだけれど、イメージはうちのパパとママ。夜は出演するイエドロの稽古もあり、ちと忙しい。

2月4日

アトリエで作業など。インスタライブもやってみた。配信というものについて、もう少し可能性を探りたい。歴史に残る童話作家たちが今の時代も生きていたら、どんなことをしただろうか。そう考えると、不思議だ。

2月5日

おぼんろのみんながアトリエにきた。とある撮影。さあ、編集が大変だ。


2月6日

今日から3日間は、ピアニストのシモシュがアトリエに来て作品創りを共にする。音楽家といると気持ちがいいのは、育った環境だろうと思う。小さい頃は、家にミュージシャンもたくさん来てた。考えてみれば変な環境である。

2月7日

父の誕生日!!晴れて100歳になった我々親子。

実はここ数日、パパへのサプライズめいたお祝いがあちこちからおびただしい熱と量で届き、その編集などで大忙しだった。息子ながらに、なんと世界中から愛されている父を持ったんだ、と、そこのところは、普段はあんまり知らなかったから驚いた。

おぼんろムーヴメントアクターからも「100歳記念」のお祝いの動画が届き、感涙。

おぼんろのお祝い動画もどうにか完成した。撮影に際してサントラなど聴き直しまくったけれど、改めて、すごくいい。

スターパインズの播さんと電話。20日のことを決定。明日発表する。


2月8日

珍しく告知してからのインスタライブ。

20日についての発表をするのがメインイベント。

シモシュたちとの創作が終わってから、粛々と配信のためにアトリエをカスタマイズ。とはいえ、まだそんなに大きな工事などできず、最小限で。

ジュロコロの人形劇と、額縁ありの配信と、ライブペインティングの実験をしてみたく、トライ。


どれも60点くらいだったけれど、やってみたことは大きい。ここからは得点が上がっていくしかない。

ジュロコロと言うプロジェクトについて説明したりした。やっぱり、みんなに向けて話していると頭の中も整理されてとても良いし、何より、遊んでいる気分がどんどん上がる。嬉しかった。20日、会えたら嬉しいけど、会えなくても、そばに在れてる、と、信じる。信じる力よ僕にみなぎれ。


2月9日

父が新しいパソコンをすでに自分より全然マスターしていて驚愕。色々教えてもらう。


2月10日

アトリエ→『結び』稽古→アトリエ。

夜に、20日などについてまとめる。ジュロコロをどう展開していくか色々と考える。ジュロコロランドと言うテーマパークを創りたいのだ。世界が優しくありますようにと心から願う。


2月11日

誰もが贈り物としてこの物語を語ってほしい。眠れぬあなたに、夜が怖いあなたに、かつて誰かが物語を語って聞かせてくれたことがあったかもしれない。

僕らがやる番だ。あなたの番だ。そして、物語はこどもにむけてしかやっちゃいけないわけじゃない。みんながやっていいんだ。

物語は、商品であるよりも前に、贈り物であったはず。

たくさんの仲間に声をかけて、ジュロコロを読んでもらうつもり。そのひとがどこてでも今後それをやれるためのキットも渡す。あと、すこしだけ、コツを教える。プロだけじゃなくて、誰にでも、予定や都合が許す限り贈り続けるつもり。

世界中をテーマパークにする。誰もがキャストになれる。 あなたが大切なひとに贈るための物語を、贈る。

それがたぶん、自分の使命。


2月12日

アトリエでコマ撮りアニメを創ってみる。CGで絵を動かすことも考えながらだけれど、やっぱり、手触りのできるものに尊さを感じてしまうところはある。もう少し動きを滑らかにするのもいいんだけど、感情が伝わってくると言う意味では少しゆっくりのほうがいいかもな、と。ピントも合ってないのだけれど、とりあえず、1度目の実験。

背景のことなども含めて、音声も入れて、ドラマも含めて長編を創ってみたい。

ちなみに、原材料はボンドの包装部分。絵具とかは買うしかないけれど、なるべく、いろいろなものは再利用でやっていきたい。