僕が昔からやりたいと思っている展示会があります。

 

写真展。実のところ僕自身は写真を撮影することにあまり興味がないんですが、写真に宿る物語にはとても興味があります。

 

「でっち上げ写真館(仮)」

写真の歴史をでっち上げるんです。真実を写す、と書いて写真ですが、そこに真実以外のものを忍ばせる。そうすることによって、新たな真実が生まれることってできるんじゃないかと思って。

例えばこの道の写真。とても綺麗ですね。

これに、物語を注いだ状態で展示してみたらどうでしょうか。写真の見え方が全然変わります。

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<写真家からのコメント>

40年ぶりにこの場所に来ました。なんの変哲も無い路地ですが、僕にとっては特別な場所です。

17歳の冬、僕はここで1人の女性に出会い、恥ずかしながら僕は一目惚れをしてしまいました。

今にしてみれば、おかしなものです。僕は道端にいる彼女をみて勝手に惚れただけで、相手が誰なのかも知らず、言葉を交わしたこともなかったのですから。それどころか、もう二度と会えるかどうかもわからなかったんです。

でも、僕は思いました。「彼女こそが、僕の人生で唯一大切んするべき人だ」。それから僕は、朝から晩まで、時間の許す限りこの路地に立ちました。ここにくれば、いずれ彼女と再会できるに違いないと、勝手に信じて。それでも、毎日毎日、ここに来るのに、全然会えませんでした。不思議なもので、毎日毎日訪れても会えないのに、毎日毎日「今日こそは会える!」と思って僕は路地に行っていました。

奇跡は、夏に起きました。僕が半年近くこの路地を訪れた後のことです。

いつものように僕が路地を訪れると、そこに彼女はいました。だから、この日、彼女を再び見つけた時にも、「おー、ようやくだ」みたいに思いました。運命を信じていたんですね。僕は再会に喜び、彼女に話しかけました。聞くと、彼女は親戚がこの辺りにいる関係で、大きな休みの間だけこのあたりを訪れたのだそうです。僕は全身全霊で彼女に想いを告げました。そもそもが一目惚れでしか無いので、彼女がどんな人間かも知らないと言うのに、僕は彼女を心から愛していました。彼女は最初こそ訝しんでいましたが、だんだんと打ち解けてくれて、僕らは日に日に仲良くなっていきました。

その彼女が、先月亡くなった、僕の妻です。

僕らは出会ってしばらくしてから将来を誓い合い、都会に移り住んで所帯を持ちました。

後悔しています。仲の悪い夫婦ではありませんでしたが、でも自分が最高の夫となれていたかはわかりません。出会った頃のように熱愛を続けていたかは正直自信が無いのです。妻が隣にいることが当たり前と思うようになって、僕は彼女をないがしろに扱うこともあったし、時には喧嘩もしました。それが夫婦というものだとは思っていても、彼女が病魔に侵されてからの数ヶ月、僕は自分の夫としてのあり方を後悔しました。

そして彼女が亡くなりました。死に目にはあえませんでした。僕はこの40年ものことを思い出しました。忘れている記憶もあることが悔しくて涙が出ました。全ての瞬間を写真や映像に納めておけたらどんなにかよかったのに、と思いました。

 

気がつくと、僕は新幹線に乗っていました。どうしても行ってみたくなったのです。生まれて初めて彼女を見た、あの路地に。

 

あの日、僕は彼女と出会い、人生が変わりました。会えてよかったと思っています。40年ぶりにあの路地に立ち、僕は、自分がいかに彼女を愛していたのか改めて悟りました。彼女に、感謝を伝えたい。ありがとう、ありがとうと、伝えたい。その幸福的な感情は、なぜか絶望にも似たものでした。

僕は、40年ぶりに、この路地で彼女を待ちました。ずっとずっと待ちました。

 

待っても待っても、彼女は現れませんでした。

 

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・・・というような、写真展です。様々な写真に、とにかく物語を注いで飾る。これ、違う物語を注ぐと、また全然違った写真になってしまえるんです。それ、とても面白いと思っていて。で、とにかくたくさんの物語に溢れた写真展にしたい。

 

下の方に、本当に撮影した人のネタバラシを書いたら、ちょっと笑える展示会になるかも知れないですね。笑

でも、訪問者の心に何かを取っておいてもらうって考えたら、そのまま物語と映像をお持ち帰りいただくのが良いかもです。

 

どこかのスペースは、訪問者が自分の用意した写真を勝手に貼っていいようにする。で、それに、これまた訪問者(もしくは、運営側のアーティスト?)が、勝手に物語を注いでいく。というのも楽しいですよね。

 

あとは、一枚の写真に、色々な物語が注がれているコーナー。そのうちに、本当のものなんか入っていても楽しいですけどね。

 

誰か、興味ありません・・・?どうですかね、こういう展覧会。秋のどこかでMonogatalina主催でやってみようかな・・・

写真部と、企画部のコラボで。新聞部とかが広報して。ゲスト盛り上げるとバズるかも知れないですよね。写真家でもいいし、詩人でもいいし、アート関係の人でもいいし。会期中、僕は朗読イベントとかしてもいいし、会場で音楽のライブをやるのもいいかも。

「でっち上げ写真館」てタイトルは微妙ですな。「写偽館」の方が正しいのかも。でも、わかりやすい方がいいですね。キャッチコピーとか、一人歩きするように仕掛けたい。

 

僕ね、神様って時間は流れる前提で世界を創ったように思うんです。全部、流れていく、っていう前提。せいぜいが、記憶に留めている人はいるかも知れないけど、どんな綺麗な星空も、夕焼けも、「瞬間」てのは一回こっきり。そういうつもりだったのに、僕ね、写真家ってすごい悪いなあ、て思うんです。流れてどんどん消えていくはずの世界を切り取って、永遠にしちゃうんですもの。それ、すごいですよね。

で、その、なんというか、一度一枚の写真になると、その写真に流れていた時間や意味合い、歴史から、その景色が完全に切り離される。それ、すごいと思うんです。

僕は、写真に宿る物語に興味がある。そこを、想像したい。創造したい。

で、逆説的だけれど、そうすることによって、本当の意味で、「一瞬」というものが、とても大きな意味を持ってるってことに気付いてもらえるんじゃないかな、ってお思います。

 

僕、「記録屋」っていう短編を描いたことあるんです。主人公は、一瞬一瞬を忘れるのが嫌で、どんな瞬間も写真撮ってしまうんです。で、それがどんどんエスケレートして、結局彼は、写真を撮っている記録しか無くなる。写真を見ると確かに色々写っているんだけど、そこに宿っている物語が、わからなくなる。みたいな、物語。

花火大会で、みんな花火よりもスマホのカメラ画面を見ている、みたいなことに近いかも知れないですけどね。

でも僕自身、美しい瞬間は「これがいつかなくなっちゃうかも」って、怖くなる方なんです。

 

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どうです??って、言われても困るかも知れないけど、どうです??

 

うー、やりたいなあ。