執筆の合間に魚の絵を描いた。


使わなくなった紙袋の上に絵の具で描いた。

とても気に入った質感になった。

画用紙なら買いにいけばいくらでも同じものに出会えるけれど、

もう二度と同じ紙袋には出会

えないだろうと思う。

これは、僕にとって一生に一度、偶然による作品なんだぜ、



と思うと、ちょっとエヘンと言う気持ちになる。


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あなたはぼくとどんなに違うのか



小さい頃から魚の描き方は変わっていない。僕は疑問に思わないことというのはとことん疑問に思わない生き物らしく、今年の夏まで、魚の描き方は一億総勢というか六十億総勢みんな同じ、と思っていた。



けれど夏に岡山で6歳の友人と遊んでいたら、そいつがぜんぜん違う描きかたで魚を描いた。それで、「僕の場合はこうなんだ」と言った。

 


いまだに、「筆跡」というのが人によって違うというのが不思議だ。「あ」なんてとてもシンプルなのに、その文字だけでも個性がでてしまう。「い」とか「う」なんて、個性を出すためのステージとしては絶望的に難度が高い。だけど、違ってしまう。人によって、違ってしまう。真似しても真似できないほどに、違ってしまう。

 

僕はその違いにこそやたらと色気を感じている。


指紋が誰ひとりとして同じでないということも未だに不思議だ。60億人もいる人間がすべて違うなんて・・・。もしも天界に「人間デザイナー」みたいのがいるとしたら、そのひとの労力を激しく丁寧にねぎらいたい。別にアフリカに住むジャメル青年とフィンランドに住むアーロ少年がたかだか100年の人生の間で出くわす可能性は0ではないにせよ極めて低いわけで、ぶっちゃけ2人の指紋が同じでもバレないだろうに。