「ビョードロ」再演のDVDが、注文してくれたみなさんの元へと届いているそうですね。受け取った方の中には、劇場にいた人もいればいなかった人もいると思うけれど、物語が広がってくれればとても嬉しい。


「ビョードロ」は、細菌兵器として生まれた「ジョウキゲン」が、創り主タクモの思いを叶えるため、なるべく凶悪に進化していくという物語。ジョウキゲンは次第に殺傷能力を高め、依頼先の戦争に駆り出されていくようになり、この忌まわしき軍需産業に成功したタクモたちは富と名声を得ていくという物語。


しかし誤算だったのは、このジョウキゲンが、無垢な心を持っていたということ。

・・・・・・・・・・

思いつきは、初演時よりももっと前だった。「いつの間にかできていた」類の物語のひとつで、最初は『世界一綺麗な、ばい菌の気持ち』という一編の詩として形にした。路上で詩のライブをやり続けていた時にはいつも観客からとても人気があったもので、数十分でいくつもいくつも詩を朗読するライブの、クライマックス付近で読むことが多かった。

 

おぼんろの演目として戯曲化するときにはそれはそれは苦しんだのを覚えている。どこかにデータが残っているかもしれないが、アンという気の触れた女性が登場するバージョンもあった。これはこれで、めぐみさんが気に入ってくれたのを覚えている。

 

そう、当初はジョウキゲンを誰がやるかと悩んだものだ。今にしてみれば誰もが、わかばやしめぐみ以外には考えられない!というかも知れないのだけれど。

 

今、ジョウキゲンは「愛してもらいたい、抱きしめてもらいたいのに叶えられない」という命題を背負っている。けれど、一番最初はむしろ逆というか、ジョウキゲンが背負うのは「愛したいのに愛してはいけない悲しみ」の方が強かったように思う。自分の愛に自分で歯止めをかける、そうしなければ一番大切な人を傷つけてしまうから。だけれども、自分にも残酷で醜悪なエゴがある。相手の都合などそっちのけで、自分の愛を貫きたい、そんなところで苦しむ存在だった。

詩篇だった頃は路上での通り過ぎる人間を足止めするためのキャッチーさも狙って、主役となる病原菌のことを「バイキンマン」として登場させた。彼が、健忘症の老婆の元へと足繁く通うという物語だった。そして抱いているのは恋心である、と、明言してもいる。ラストシーンは「ビョードロ」以上に救いがない。

 

路上で読んでいた時の詩を、以下に掲載する

 

世界一綺麗な、ばい菌の気持ち

ご存じの通り、

バイキンマンが恋に墜ちた相手は健忘症の老婆。
特異な思考回路のバイキンマン、
何もかも忘れるばかりの、思い出を持たない老婆。
交わす会話は『あっちへお行き!』と『ばいばいきーん』
シッシッと追われて逃げだすひとときだけは、彼女が自分のことを考えてくれる、バイキンマンはそれが幸せ。
バイキンマンを無視しなかったのは老婆だけだったのだ。
バイキンマンは殺傷能力が高いので、どんなに愛しくとも一定距離以上は老婆に近付けない。それでもいいほどの恋心。