イソギンチャクのやつときたら最近随分とゴキゲンじゃないか、と、これはもう、海の中ではもっぱらの評判なもんさ。



本当のことはわからない。海ってのはそういうところなんだ。



神経質で、ちょっとのことですぐ怒りがちだし、何かと言ったらすぐに心が傷ついてメソメソ泣いている、海の中の凸凹の岩の表面に自分が存在して、どこにも移動できないことを嘆いては、ぐにゃぐにゃの何本もの腕を天国の神様に向けてゆらゆらと揺らして抗議申し立てている。イソギンチャクのことは海では有名さ。前にうっかり近くを横切ったカニのやつなんかがイソギンチャクの泣き声を聞きつけて、「大丈夫ですか」なんて心配して声をかけたものだから、さあ大変。イソギンチャク、ここぞとばかりと思ったのかは知らないが、メソメソオイオイと涙を流して、三日三晩、泣き言漏らし続けた。カニのやつ、最初は親身に聞いていたけど、だんだん心も辛くなるし、何より腹が減って参っちまったって話だ。


イソギンチャクはゆうらゆら。海の中で、ゆうらゆら。


そのイソギンチャクが、ここのところ機嫌がいいっていうんだから、海の中では面白おかしく噂話になったもの。メソメソオイオイ嘆く声が聞こえないだなんて、なんだか塩梅おかしいぞ、そんなこと思いながら、海の中のどいつもこいつも気になった。

で、これが、何が起きたのかというと、実のところイソギンチャクには親友ができたんだ。


岩に張り付いて身動きできないイソギンチャクのところに、ここのところ足繁く通っては無駄話を繰り広げているってのは、なんとね、あの嫌われ者のフカのやつさ。サメ、なんて呼び方もあるらしいけれど、海の仲間からはフカと呼ばれていた。「あいつと仲間になるのはフカ(不可)」って意味だ。そう、フカのやつ、海の仲間をバクバク食べちまうし、その食べ方も汚らしい。食うにも食われるにも礼儀があるのが海の中の掟だというのに、あいつときたら御構い無しさ。突然やってきて、残酷な牙でいきなり噛み付いてくる。丸ごと飲み込むならまだしも、こちらには真っ赤な血を流させて、何度も何度も体を噛み砕く。みんなおっそろしく思ったし、デリカシーのカケラもないフカのことは大嫌いだった。


そのフカと変わり者のイソギンチャクとが、ここのところ随分と仲良くやっているって、まあ、この噂はね、あっという間に広がったものさ。おしゃべり好きの嘘つきなタツノオトシゴが、その突き出た口で海中に言いふらしたんだ。だから、実はイソギンチャクとフカが仲良しだなんて話が本当かは、誰にもわからない。タツノオトシゴの得意の大嘘かもしれないんだけど、でも、あいつはハッキリとその目と耳で、イソギンチャクとフカがそれはそれは幸せそうに語り合っているところを見てきたっていうわけさ。

イソギンチャクってやつは岩から離れられないからね、なんでも、海のあちこちを旅してきたフカの冒険話を聞くのが大好きだったって話さ。フカのやつ、海の他の仲間の前では偉そうに威張ってて、それでいて、自分が嫌われ者だってわかっているせいか、いつも少しうつむいてるっていうのに、イソギンチャクの前では心なしか胸張って、そしてびっくりするくらいに優しい声で話すんだそうだ。七つの海のどこそこに、どんな綺麗な景色があるだとか、海の奥底に住む精霊たちの歌声が何を教えてくれたのだとか。そのフカの話が本当かどうかはタツノオトシゴにも他の海の仲間たちにもよくわからなかったんだが、とにかくイソギンチャクはフカの話を聞いて随分幸せそうに笑っていたんだそうだ。イソギンチャクが笑えば笑うほどにフカははしゃいじまって、次から次に喋る続けるんだって。タツノオトシゴは苦笑いをしながら言ったものさ、「正直、オイラよりもおしゃべりなんじゃないかって思ってしまったよ」ってね。


まあ、惨めで小さなイソギンチャクがフカの話を面白おかしく聞いていたのは、なんとなく納得もいくというものさ。でも、タツノオトシゴからその話を聞いた誰もが、その話が嘘だと訝しんだ。だって、巨大で凶暴なフカが、なんでわざわざイソギンチャクなんかに話をしに言ったんだ?って。これについては、タツノオトシゴもわからないらしい。イソギンチャクは、フカは、ただただ話を聞いていたんだそうだ。そう、ずっとずっと、聞いていたらしい。


なんでも、フカのやつ、いつだってイソギンチャクに意気揚々と語りながら、なんとな、まあ、そんなこと、本当かどうかはわからないんだが、・・・泣き出すんだそうだ。その理由まではタツノオトシゴもわからないらしい。あんなに凶暴に海中の生き物を震え上がらせているくせに、なんなんだ、と思うところだけど、イソギンチャクのやつ、泣き出したフカに向かって御構い無しに、「それで?他にはお話はないの?どうか聞かせてほしいわ」とせがみ続けるんだそうだ。フカは泣きじゃくりながらも必死に話すらしいんだが、フカめ、そうしているといつのまにか泣き止んじまうそうなんだ。


海中の仲間が、タツノオトシゴの話を聞いて最初こそ面食らったが、でも、これはとても素晴らしいことなんじゃないかと思うようになった。イソギンチャクもフカも陰気な奴らだが、両者が仲良くなって、幸せそうだというならばこんなに素晴らしいことはないじゃないか。みんなは、しっかりと祝福してやろうじゃないかと話し合い、祝いの言葉とささやかな祝儀を渡そうと出かけていくことにした。二人の居場所を見つけるのなんかは簡単だ。イソギンチャクはいつだって同じ場所にいるのだから。



海の仲間がイソギンチャクの元へ行くと、ああ、やっぱりだ。そこにはフカがいた。イソギンチャクの頭上をゆっくりとぐーるぐる泳いでいる。取り込み中だったら悪いなと、祝いに訪れた仲間たちは岩の影から二人の様子を伺うことにしたんだが、耳そばだててみて、みんなは驚いちまった。二人は・・・喧嘩をしていたんだ。


イソギンチャクは言ったんだ。


「フカさん、お願いだから、泳ぐのをやめてくださいな。ここにい続けてくださいな。この岩の上に寝そべって、僕と一緒に眠ってみてくださいな。そんな簡単なことをお願いしているのに、どうしてイエスと言ってくれないのですか」


フカは必死で答える。


「君はイソギンチャクだから知らないんだ。俺は、泳いでいないと死んでしまう、そういう風につくられてるんだ。」


イソギンチャクは泣き出してしまった。


「そんなことはわからない。本当か嘘かもわからないし、本当だったとしてもやめてほしい。僕が眠くなってもあなたは泳いでる。そして、ここ以外のところにも泳いで出かけていってしまう。その度に僕は、もしかしたらあなたと2度と会えないんじゃないかと想像して、苦しさのあまり体がバラバラになってしまいそうになるんだ」


「それでも、一回もそんなことはなかったじゃないか。何度もさよならをして、同じ数だけ、再会をしただろ。あのな、俺だってここにい続けたいし、岩の上に寝そべって眠ってみたいとも思う。だけど、それをしたら、死んでしまうんだ」


「試したことがあるの?」


「あるものか!あったらもう・・・俺はとっくにお陀仏さ。」


今度はフカも泣き出した。様子を伺っていた海の仲間たちは、こいつはどうやら今さら出て行くわけにはいかなさそうだぞ、と困っちまった。


「お前こそ、岩から離れることはできないのか?コバンザメのように俺の体に張り付いて、海を旅するのはどうだ・・・?」


「そんなのは、無理に決まっている」


「なあ、イソギンチャク。俺はお前といると本当に幸せなんだ。お前といないときは、俺はいつだって死んじまいたい気持ちになってる。誰からも嫌われていて、何より、俺が一番俺のことを嫌いなんだ。だけど、お前といるときはそんなことは考えないで済む。俺とお前は全然違う。似ているところもたくさんあるんだろうが、でもどこかは本当に、全然違うんだろう、だけどな、俺はお前のことが大好きなんだ。」


イソギンチャクは揺れることもしないでジッと固まってる。泣いているのか怒っているのかもわからない様子で、小さな声で言った。


「僕はね、寿命というものがないのです。弱くて愚かな生き物だから、調子のあんばい悪けりゃすぐに死んでしまうというけれど、場合によったら、いつまでも・・・そう、恐ろしいことに、永遠に生きてしまうかもしれないのだそうです。本当のことはわかりません。でも、僕はそのどちらの場合を想像しても、ゾッとしています。フカさん、あなたは比較的長く生きると聞きました。500年以上生きたお友達もいるのだと前におっしゃってましたね。それを聞いたとき、僕はなるべく長くあなたと一緒にいることを夢に見ました。それは、もう、もしかしたら僕、泳ぎ出すことさえできてしまうんじゃないか?って思うくらいに幸せな夢でした。でも、だからこそ、恐ろしい夢でした。その夢を見てから、僕はあなたのことが嫌いになりました。あなたとなるべく長くいることを願えば願うほどに、あなたが嫌いで、怖くなりました」


岩の隅で盗み聞きをしていた連中は、なんだか聞いてはいけないことを聞いてしまっているような気がして、自分たちが犯罪者のように思えて、いたたまれない気持ちになった。でも、イソギンチャクの言っていることも、フカの言っていることも、てんでわけがわからなかったし、くだらないことのように思って、興味を無くしちまった。タツノオトシゴが、イソギンチャクとフカが仲良しになっただなんて話したものだから、信じてせっかくお祝いをしに来たってのに、バカを見たもんだ、さてはタツノオトシゴめ、嘘をつきやがったな、とみんなでプンプンして、どっかへ言っちまった。


タツノオトシゴのやつ、すっかり気落ちしたものだけれど、それよりも不思議でならなかった。つい先だってまではあんなに仲良しだったイソギンチャクとフカだというのに、どういうことだろう・・・?タツノオトシゴ、せっかく連れて来た仲間たちに軒並み見限られちまって、ポツーンと海にぷうかぷか、仕方がないから、イソギンチャクとフカの様子をまだ見つめていた。


ここから先は、タツノオトシゴがこの後みんなに話したことだ。これがまた、土台めちゃくちゃなことだったもんでみんなは大怒りしたものだけれど、タツノオトシゴのやつ、必死で語ったもんさ。


みんなを見送ったタツノオトシゴ、振り返って再び岩の陰からイソギンチャクとフカの様子を伺ったんだそうだ。二人はさっきよりも顔を近づけて、まだ何かを話し合っていたらしい。どんな様子だった?と後でイカのやつがタツノオトシゴに聞いたけど、タツノオトシゴのやつ、「泣いていたような気もしたけど、笑っていたような気もする」と、どうにも要領を得なくて首絞められてた。フカのやつ、ほとんど泳ぎもしないで、ふわふわとイソギンチャクのいる岩の上に浮かんでたんだそうだ。満潮になる時間だったからかね、さっきより海の水の流れも激しくなってたもんで、二人が何を話しているかは地獄耳のタツノオトシゴにも聞こえなかったんだそうだ。で・・・



タツノオトシゴが言うには、な、フカのやつ、岩に張り付いたイソギンチャクを、鼻でツンツン、と突いたかと思うと、その大きな口をぱかりと開けてな、イソギンチャクのことひと呑みにしちまったんだそうだ。食っちまったんだな。



そんでもって、ヒレを動かすのをやめて、さっきまでイソギンチャクが張り付いていた岩場に、すーっと寝そべったんだと。タツノオトシゴのやつ、焦ったってさ。だって、つい今さっき、「自分は泳ぐのをやめたら死んじまう」、ってフカ本人の言葉で聞いたばっかりだもんな。こんなことをしたらダメですよ、泳がなくっちゃ!と、フカに伝えようとしたらしいんだが、タツノオトシゴ風情がフカに物言いができるだなんて聞いたことがない、それこそ、粉々に噛み砕かれておしまいってこともあり得る。タツノオトシゴは大慌てで海の仲間たちを呼びに行った。話を聞いたところでみんな、タツノオトシゴの話なんか半信半疑だったもんだが、あまりに必死で頼まれたもんでみんな再び、イソギンチャクのいる岩までやって来た。



すると、そこにはもう、誰もいなかった、ってことだ。



みんなはあれこれと推測してみた。イソギンチャクを食い殺したフカはそのまま泳ぐのやめたから死んじまって、死骸はきっと流されちまったんだ、海の深く深く、どこか遠く。海の仲間たちはそう話した。もしくは、タツノオトシゴの話がまるっきり嘘なんじゃないか、怒ったり、からかったりした。もしかしたら、フカがイソギンチャクを食っちまったってのも、フカが動かず横たわっちまったなんてのも、タツノオトシゴがみんなに構ってもらいたいがための大ボラかもわからない。



ま、君がもしも望むならなのは足だけど、今でもこの海のどこかで、イソギンチャクとフカは一緒にいるんじゃないかって、まあ、願うくらいは許されるだろうね。君が願えば、そうなるってこともあり得るものさ。


本当のことはわからない。海ってのはそういうところなんだ。