物語は、「未完成」という完成形を見ることもあるんだなあと。けれど、物語が終わった後でも物語を続けていくと、いつかそれは完成品になりますように、なんてことを思いました。
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先日、八幡山ワーサルシアターに行ってきた。ここ、この夏で閉鎖されることが決定した。年がら年中そこにいるわけではないから、閉鎖される、と言われても実感はあんまりない。でも、実感ないのも嫌だなって思ったんだ。だから見に行くことにした。
そもそも八幡山には長らくおぼんろの稽古場があったというのもあったし、ワーサルシアターでは劇団員のわかばやしめぐみがスタッフとして働いていたりもして、この劇場は僕らにとっては馴染みの場所だった。閉鎖して全く違うお店が入ることになるらしいと聞いて、胸はざわついた。でも、Twitterですぐに「悲しいです!」みたいに言えない自分もいて。
だからなんか、とにかく会いに行くことにした。
外から見てもすでにもぬけのカラ。8月末に閉鎖と聞いていたから、一日だけ貸してくれないか、と交渉していたのだけれど、このワーサル参りをした次の日に連絡をもらい、「予定より工事を早めねばならなくなってしまい、貸す事はできない」と伝えられた。
本当は、「ワーサルさんさようなら」というような演目をやって配信しようと思っていた。仕方がない。紡がれなかった物語があったということも、ひとつ大切な物語なのだと無理矢理にでも思い込む。
ここでいろんな物語を創った。僕は場所からのエネルギーをもらって物を創るところがあるし、本番の幕が開いてからも場所と相談し合って物語を育てたりする。そういう意味で、八幡山ワーサルシアターは僕を育ててくれた大切な場所だと思う。
『パダラマ・ジュグラマ』
『ギルムルの花束』
『METEOLITE』
『Greatful Grapefruit』
『狼少年 ニ 星屑 ヲ』
『カスタネット』
これで全部かな?他にも、客演やゲストで参加した公演もたくさんあるし、ここを借りて稽古したり創作をしたことなんてのもたくさんあった。
最初に出会った頃は、中に無限の物語世界が広がっているような気がして、こんな場所を使いこなせるんだろうか、と思ったりもした。それからの数年間、何度も何度もここにいて、多分いまは、この劇場の細部までもよく知ってる。でも演劇の力が為せる業なのか、場所を知れば知るほど、この場所の物語世界は無限に拡がり、謎も夢も膨らんだものだ。
いつの間にか少し広いところでの公演ばかりするようになった僕らだけれど、この場所こそがとってもとっても大きな劇場だと、今でも思ってる。
別れは悲しい。けれども、僕とワーサルシアターは正しく出会い、正しく付き合い、正しく別れることができたのだと、思っています。この劇場に育てられたことは事実だ。この劇場が育てた僕がこれから何かを創っていくこと、そして、この劇場を忘れないことが、この、終わってしまった「僕と劇場の物語」が終わらないための唯一の方法であるような気がします。
ここに、「ワーサルさん」はいたように思う。オペラ座に怪人がいるみたいに、海にポセイドンがいるように、苺大福の中にイチゴが入っているように、ワーサルシアターには「ワーサルさん」がいた。ワーサルさんのところにはたくさんの人が訪れただろうから、僕が抱くほどに強い感情をあっちがこっちに抱いているかは定かでないけれど、とにかく、僕は、今、ワーサルさんに強い感情を抱いているし、その強さでほんの少しだけ胸はちゃんと苦しい。
僕が気になるのは、君がこれからどこに行くかだ。
また会おう。
少なくとも、僕という物語の中には何度も現れておくれ。
そんなことを願っています。